Love will tear us apart
かなり時間がたってしまいました。
いつでも時間はたっている。
Londonのことを思い出すとき、必ず一緒に考えることがある。忘れてはならない、というか、忘れない。人は案外忘れないものです。
仮に彼女をSとしましょう。Sちゃん。若かりし頃の友人。彼女は死にました。もう10年以上も前に。
Neo psycheが大好きだった。Bauhausとかね、Danse Societyとかね。そのへん。いろいろと録音してもらったものだよ、テープに! そう、カセットテープです。
よく憶えているのは、夜遊びしてうちに泊ったとき。話している最中に突然眠ってしまった。それなのに翌朝あまりに肌がきれいで、すごく羨ましかった。お腹のなかにいるのときにお母さんが氷砂糖をたくさん食べたから肌がきれいなのだ、と彼女は言った。そうだ、そんなことさえ憶えている。
彼女とは当時関わっていた雑誌で知り合った。あるとき彼女がやってきて、雑誌を手伝うことになったんだ。そのあと彼女のほうが本格的に関わることになった。それはそれでまたいろいろと大変で、あまり良い結末にはならなかったんだけど。でもまぁそんなわけで私たちは知り合った。
彼女は何度もロンドンに行っている人で、Boy Georgeとかそのアタリとも知り合いだった。CultureClubがブレイクする少し前。でもほとんど現地ではブレイクしていたのかもしれない。
私はもっばらPOPなもの専門だったんだけど、彼女はもう少しハードなものをいろいろと教えてくれた。そして私はいわゆるalternativeのほとんどのものがPOPであることを知った。そう、たとえば、Bauhausとかね!!
いろいろ。いろいろ。本当にいろいろ。
そして私がロンドンにいるときに、彼女もまたやってきた。旅行ではない。彼女は結婚をすることになったんだ。相手は一時音楽もやっていたイギリス人。バンドはそれほど売れなかった。インディーズでマニアックなファンがついた程度。だからそのときにはもう音楽はやっていなかった。
長いこと手紙のやりとりでふたりは付き合っていた。そしてある日、プロポーズされた。それもすごい話なんだけど。
ともかく私がロンドンにいるときに彼女はやってきて、そして結婚式を行った。場所はどこだったか忘れてしまった。サウスだったか、イーストだったか・・・・。私はほかの友人を誘ってチャーチの式に参加した。古着の白いワンピースを着て。that petrol emotionのバンドのメンバーも来ていた。音楽仲間なんだ。それからみんなは近くのパブに流れて、そこでしばしご歓談って感じ。気さくなパーティ。ちなみに彼女の両親は離婚をしているのだけど、そのときはふたりそろってロンドンまでやってきた。幸せな日だった。
一度だけ私は彼女たちの新居に遊びに行った。ロンドン市内にある公団のような建物の小さな家だったけれど、全体に白い感じの部屋で、とてもキュートだった。日本の家は小さいといわれるけれども、イギリスの、少なくともロンドンの家もかなり小さい、ことも多い。実にコンパクト。
私と彼女はそこで一緒にカレーを作ることにした。でも、カレールーのないカレーなんて私は作れない。適当にパウダーで作ったけれども、これが信じられないくらいまずい。そこで私は途中で日本モノも置いてありそうなスーパーにバスに乗って買出しに出たりした。結局見つからなかったけど。
そんなわけで激マズい薄いカレー味のようなスープのようなものを私たちは3人で食べた。まずい、まずい、という私に、ダンナ氏は「おいしいよ」と笑顔で言ってくれた。やさしい人。いかにもイングリッシュマン。
それからしばらくして、私がお金がつきて日本に帰ることになったとき、彼女とダンナは出発の日にわざわざ私の家まで訪ねて来てくれた。嬉しかった。
あまりの家の汚さに、そのダンナも呆れていた。そのときにKitは留守だったので、私は手紙を残すことにした。
「こんなにすばらしい部屋をありがとう」って書けば? と彼は皮肉なジョークを言い、私たちはみんなで笑った。
それが彼女たちに会った最後になった。
そんな別れから数年が過ぎて、訃報は突然に届いた。昔の雑誌仲間の男の人から。どうして知ったのか、あるとき突然に電話があって、彼女が死んだことを知らされた。自殺だと言った。
あまり詳しいことはわからなかった。墓参りをやるから来ないか、とその人は言った。昔の人たちが集まると。私はそのときあまり良い状態ではなかったので、昔の知人に会うのはいやだった。だからお墓のある場所だけ教えてもらい、ひとりでいくことにした。
to be continued
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