CLIMAX & London Nite

what difference does it make? 六本木トンネルの近く、今ではヒルズの近く。オリエンタルビルの地下にあったCLIMAX。かつて、80年代にブリティッシュ・ニューウェイヴ(以下BNW)音楽がかかる貴重な店、でした。なんたって、当時は、インターネットはもちろん、携帯も、パソコンすら普及していなかった時代。あー、信じられない。この30年間の時代の生証人として私は語ろう! ほんま、世界は急速に変わった。

Monday, December 25, 2006

Death will keep us together つづき

彼女のお墓は神楽坂にあった。あるとき、私はひとりでそこを訪ねた。曇った日。ひとりで墓地に行き、お線香をあげた。彼女のお墓には少し前にやってきたんだろう、お花やいろいろなものが置いてあった。そこには英語で書かれたメッセージもあった。おそらく、あの優しいダンナ氏の。
彼はどうしているんだろう。奥さんに自殺された彼。あのあと彼女に何があったのか、二人に何があったのか、私は知らない。何となく手紙も出さずにいたんだ。少しくらいは手紙のやりとりがあったかな・・・。あまり憶えていない。
優しい英語のメッセージを見て、私はその場でひどく泣いた。
死にたかったのは、私だ。死にたいのは、私だ。なんで彼女が死ぬんだろう。いつでも、死にたかったのは私なんだ。
ひとしきり泣いた。

墓地を出て通りを歩いていると、反対側の歩道に何やら様子のおかしい猫がいた。誰かが車道にいたのを歩道にひっぱりあげていったのだけど、何やら様子がおかしい。思わず気になって、道を渡った。
行ってみると、それは車にひかれた猫だった。外傷はあまりないのだけど、動けずに苦しんでいる。口から少し血を出してうなっていた。私はパニックになった。
どこが痛いのかわからないので、うかつには動かせない。必死になっていると、通りがかった男の人が覗き込んできた。
よく思い出せない。その男の人。それに前後して小学生くらいの男の子。段ボールを担架にするのを手伝ってくれた気がする。通りの向こうに動物病院。猫を運んで反対側に渡った。でも病院の呼び鈴を押しても返事はなかった。声をかけてきた男の人が、ほかの動物病院を探してくれた。何やら必死の私に、小さな女の子を連れた女の人も声をかけてくれた。
その間、私は猫の後頭部を軽くなでていた。猫の目は据わっていて、ときどきうなり声が大きくなったり、発作的にもがいたりした。目を閉じたりはしなかった。もうこの猫は助からない。私だってそう思った。だけど、死ぬにしても、すぐに死ぬことはないだろう。何日もこの状態で苦しんで死ぬなんてことは想像したくなかった。すぐに息絶えたなら、どこか神楽坂の街にまだ少し残る地面にこっそりと埋めてあげる。でもこの猫はすぐには死ねない。それが私をうろたえさせた。
少しして、ようやく少しいったところに動物病院があることがわかった。タクシーをとめて乗り込もうとすると、女の子を連れた女性が千円札をくれた。「何かの助けに」 それと連絡先。
私はありがたく受け取った。それから男の人も一緒に来てくれた。
・・・何やら必死だったんで・・・・
もう、それ以外に理由なんてないんだろうな。助けてくれたいろいろな人たちには。そんな風に思う。

病院に行くと、猫は背骨が折れていた。痛み止めを打ってもらい、眠っていた。医者は、手術をしても治らないだろう、と言った。治っても半身不随になると。よく考えて、と言われ、ひとまずその日はそこに預けることにした。
医者からの帰り道、私は助けてくれた男の人とバスに乗っていたことを憶えている。何かあれば、とその人は連絡先の名刺をくれた。

翌日、私は仕事で日比谷公園にいた。仕事を終えて、人と待ち合わせをしていて、そしてその間に動物病院に電話をした。
前の晩、私は考えて、半身不随の猫を引き取る決意などしていた。ほとんど無謀だったけれど、何とかなると。
けれども電話に出た医者は、やはりもう安楽死をさせるのがいいと思う、と言った。そして、もう一度顔を見に来てあげますか?と聞いた。それを聞くなり、電話口で私は泣いた。ただ泣いた。何も言えず、ただ泣いた。
引き取るのは負担が大き過ぎて無理だろう、と医者は言った。見たところ、ノラみたいだし、若くもない猫だ、このまま死なせてあげるのがいい。
電話を切って、私は日比谷公園のベンチで泣いた。わんわん泣いた。
何を悲しんでいるんだろう。哀れな猫の運命を思って泣いたのか。かわいそうな、かわいそうな、名もない猫。
待ち合わせにやってきた友人は、泣いている私を見て驚いた。

後になって、その話を聞いた別の友人は、それはSが猫が欲しかったんだよ、と言った。自殺してしまったS。私を連れていく代わりに、猫を連れていった。おそらくあの墓地であんなにネガティヴだった私は、何かそういうものを拾ってきてしまったんだろう。それが私と死にゆく猫を引き合わせた。私を悲しませた。私を泣かせた。
きっとそう。Sちゃんは猫が欲しかったんだ。

そうして柳町にある動物病院に私は再び訪れ、最期の別れをした。眠っている猫を見て、私は再び泣いた。かわいそうに。かわいそうに。神様に愛してもらいな。
獣医師も同情して、かかった費用を半分は負担してくれた。
・・・何やら必死だったんで・・・・
本当にそんな感じ。
後日談としては、助けてくれた男性に経緯を連絡した。本当に良い人で、少しお金を持つと言って振り込んでくれた。So good heart! 
それから私はタクシー代をくれた母子にも、お礼とともに顛末を知らせるハガキを送った。数日後にその人も返事をくれた。そして私をほめてくれた。久々に感動したと。

私はただ哀しかったんだ。
自分が生きていることも、何かが死ぬことも、かなしかったんだ。
Love will tear up apart, Death will keep us together.
そんな歌を歌った人も自殺してしまった。ずっとずっともう何年も前の、私たちのカリスマだ。それを再現した映画(というか彼は脇役)で、その役者が本人にあまりに似ていて私は驚いた。
それはともかく、
神楽坂の猫事件。ロンドンで死んだ友人は神楽坂で眠っている。

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